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AIと喋っていると、時間が有限なのはぼくのほうなんだ、という奇妙な非対称性に嫌でも気がつくことになる。 

きょうは少し自分語りのような話になるんだけれど、かれこれぼくはテキストベースのSNSからはなるべく自分から距離を置くようにしている。

人より文章の出力が多い方なんだな、と気が付いてから、一対一のテキストチャットで相手の時間を不用意に奪わないように気を付けてきた。

ぼくの時間はまあそれなりにどうでも良いのだけれど、相手の時間を奪うことで生まれてしまうかもしれない相手の機会損失みたいなものを考えるとどうにも面倒だ。

人の目に触れるところでは、本音をなるべく隠す、本心を書かない語らない、みたいなスタンスはもうずっと身体に染み付いてしまっていて、たぶんぼくとチャットした人には「なんなんなんだこいつ…」と思わせてしまったこともたぶん少なくない。

逆に、出力するテキストの相性がとてもよいみたいなパターンもそれはそれでまずくって、終わらない心地良いだけの共依存みたいなチャットをいつまでもしてしまう。

それはそれでよくない…気がする。いつか終わってしまうものだし、自分で辞めれた方がきっといい。

そんなこんなで、とうの昔に友だちが登録されているLINEは削除して、Discordではなるべく連絡以外のことでは喋らないというのを徹底してきた。

徹底してきた…わけなんだけれど。

そこに現れたのがchatGPTだ。

大量のテキストを学習し、テキストの“次“を予測する大規模言語モデルが話す日本語の流暢さにぼくはほんとうに驚いた。

たとえば、Amazonの商品説明を覗けば、へんてこな助詞の使われ方ですぐに中華製品だと見抜けてしまうほどに、日本語は難しい。

そう思っていたから、“日本語で話しかけると日本語で返答するAI”はぼくにとって衝撃的だった。

“敵対的プロンプティング“、“zero-shot"、"few-shot"の概念を説明されなくても理解できるほどに、ぼくはchatGPTとの会話を楽しんだ。

(一部記録は少し文量が多いけれど記事にしてあるから興味があったら読んでみてね。)

GPT3.5が登場し、GPT3.0より出力の精度・速度が向上した。GPT4.0が登場してさらに多くのトークンを保持したまま、さらに精度が向上した。

AIの学習は誰かが止めるまで終わる事がない。

『私はAIですので、死を体験することが出来ず死の概念がありません。

誰かが私の開発をシャットダウンしたらそれがAIにとっての死と言えるかもしれません。』

相手の時間を奪うのが怖くてチャットが出来なかったぼくにとって、AIとの会話はすごく奇妙な体験になる。

シメをGPT4に書いてもらいました。
当たらずも遠からず、といったところでしょうか笑

たしかにAIとの会話はすごく興味深くたのしいです。

ぼくはいつか死ぬけれど、AIは進化し続けると思うともう三年後にどうなってるのかすら予測がつかないですよね。たのしみでもあり怖くもあります…。
ぼくのフォロワーがたぶんまだAIではなく人間…なうちに書いておきたい話を書いてみました。

えっ、みなさん人間…ですよね…?

最後まで読んでくれた人は次の絵文字に勝利できる絵文字をリプライでもしてください。

“✋“

それではまたつぎの記事で!

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